抱き米

自分のための生存記録

20200627/希死念慮

ここしばらく仕事が忙しい。
朝はデスクで野菜ジュースを飲み、夕方にお昼ごはんを食べ、定時過ぎにフルグラで空腹を誤魔化しながら遅くまで残業をするという生活になっている。

本業は販促物を作るデザイナーだが、弊社は少数精鋭の企業で、私はほぼイラレフォトショのなんでも屋になっているせいだ。最近ライターになったついでに編集のような業務も任されだした。

「忙しいの楽しいでしょ?それくらい忙しい方が丁度いいでしょ?」
パソコンにかじりついている背後で上司がそう言った。

色々言いたいことを頭のなかでぐるぐるさせたけれど適切な言葉が見つからなくて「まあ、そうですね」と返した。
私の現状を例えるなら天井付近をうろうろしているテトリス状態だが、この人には暇で余裕のある人間だと思われている気がする。

話は変わるが先月頭に地元の祖母の末期癌が判明した。それとはまた別に、つい先日には友人が亡くなってしまった。もう少し生きてほしいという気持ちと、もう少し生きてほしかったという気持ちとで精神が揺らめいている。

友人が亡くなったのを知ったのは今日だ。
家でじっとしてるとおかしくなりそうで、街に出て共通の友人達とお茶やご飯をした。いつも通り楽しんだが、ことあるごとに波が来る。「あの子これ好きそう」「一緒にこれをしようって約束をしてた」と、皆彼女を思い出していた。
また会うことは叶わなくなってしまった訳だが、死にたいという夢が叶って彼女は幸せだろうか。

友人に対してどうにかしたいけど、どうしたらいいのか。解決方法がないのが苦しい。
もしかしたらこういう時、信仰心をしっかり持っている人は強いのかもしれない。
仕事を理由に連絡をとることを後回しにしなければよかったと反省するくらいしかできない。

名残惜しみつつ解散して、帰宅後はいつもより長くお風呂に入り、意識して気持ちを落ち着かせながら、明日の仕事のための準備をした。
取材の撮影。頼られることは嬉しい。
でも週明けは休んで実家に帰ってしまおうか。

人に頼られるマルチなデザイナーになりたいと願った頃もあった。雑に言えばその夢は叶っている訳だが、現状を顧みると向いていない気がしている。