抱き米

自分のための生存記録

20191212/今期演劇レッスン最終回

早めにかけたアラームで起床。睡眠時間を確認したら3時間半。
アラームをかけた時間からカウントするから、実際はもうちょっと短そう。
早く準備をしたいけど、眠たすぎてうだうだ。

 

なんとかいつもよりは早い時間に準備にとりかかり、昨日買ったおにぎりと小さなカップ麺、水、レッスンの準備などを持って家を出る。
駅のホームにあるコンビニを物色。レジに行こうかというタイミングで乗るつもりだった電車が来て慌てて商品を置いて出た。ちょっと申し訳ない。

 

2時間早い出勤。今朝も綺麗になってきたと声をかけられる。
意外と見られている。
眠気覚ましにコーヒーを買い、
パソコンに向かいつつツナおにぎりを食べた。

 

お昼はほたて塩ラーメンと鮭おにぎり。
ラーメンの味はよくわからなかったけど、薄味だしサイズは小さいしで食べやすかった。
初めて買ったラーメンだったけど、他のカップ麺もこれくらいのサイズでいいのにと思った。普通のヌードルより一回りくらい小さい。

残りの時間は編み物。ほぼ完成。仕上げはレッスンで。

 

仕事終わりは演劇レッスン。今期最終日。
1時間ほど遅れて教室入り。この日は偉い先生はいなかった。
入ってすぐフロアの真ん中にベッドが用意されていた。重い雰囲気。

 

もうすぐガンで死ぬであろう大切な人が入院しているが、
自分は大切な予定でしばらくお見舞いに来ることができない。もう急いで病室を立ち去らなければならない。
相手の為に手作りのプレゼントを用意。最後の仕上げを2分で行う、という実験的レッスンが始まっていて、
丁度終わらせたところだったらしい子が泣いていた。

 

大切な人はだれか、どこの病院か、今は何月何日何時何分か、自分の大切な用事とは何なのか、など自分も設定も考え、用意するプレゼントも相手が喜びそうなものを考え、なるべく手間のかかるものを作る。
自分が共感・現実であり得ると感じられる状態を作り出し、感情が入り込むほどその役に乗りやすくなる。

 

でもこれは自分がどれだけ本気になってその2分に取り組めるかを試すものなので、
泣ければ、激しい感情が表現できればいいというものでもないので難しい。
(感情が溢れて何もできなくなってしまうと諦めたことになってしまう)

 

私以外の人はもう終わっていたので、10分休憩挟んですぐ私の番。
実家でも猫を飼っている猫好きな友人がガンに。もう猫に触れられないかもしれない。
本物の猫を連れこむのは難しいので猫に似た毛並みの毛糸で猫型クッションを作る。その仕上げ、という内容で行った。
最後の一目を編み、毛糸の端を処理し、クッションを作ったこととまた来るから待っててというメモを書いて立ち去る。

ギリギリ2分近くで終了。手先が上手く動かず割と慌てたが、見てる側としては落ち着いているように見えるらしい。
このレッスンだけでなくもうずっと言われていることだ。
で、それは良いことでもあるらしいが、私は感情が出にくいことを悩みとしているので
どうしたら感情が出るのかということを質問したら、「感情が出やすい部分を意識すること」だそう。
例えば、手に感情が出やすいと感じるのであればそこで表現してみる、らしい。
そういえば私は困ると手に汗をかいたり震えたり強張ったりするタイプだ。
確かに、と思ったがなんのために顔面がついてるのか。併せて表情筋にも頑張ってほしい。

 

後半はシーンレッスン。
前回のレッスンで場所が喫茶店ではなく夜の公園であることが判明したのでベンチを用意し、立ったり座ったりする。


このシーンレッスンでずっと言い間違えてた
「あと半年で、あと半年しか生きられないかもしれないんだよ」
という台詞、結局最後まで
「あと半年しか、あと半年しか生きられないかもしれないんだよ」
と言い間違えてた。このキャラクターは「あと半年で死ぬ」、と言いたくなくて言い直したんだろう。
分かってても間違える…

 

相手の子をビンタしなきゃいけなくてそわそわした。二度した。
一度目は振り切れずにがっつりいってしまって慌てた。動画も撮ったけど慌て様も映ってて笑え、笑えない。演技に集中しろ。

 

もう一組のペアは最後の練習で
淡々とお父さんがガンで死ぬという話をしだすお姉さん、お父さんの話が出た途端そっけなくなる妹、というものから
優しくお父さんがガンで死ぬという話をしだすお姉さん、だんだんヒートアップし、声を荒げる妹、に変更し
もともと良かったけどもっと良くなっていてすごかった。
見る側はいろんな面を見たい、という実験。

 

最後に今期の反省と、先生先輩方からの一人一人に対する助言。
なんとなく目頭が熱くなったり、皆水面下で感情が揺れている感じがしていた時間だった。
私に対しては声が小さいから技術面の訓練をした方が良いという話。コルクを咥えてあいうえお~を言うと良いらしい。あと歯を見せて話す練習。
演劇を続けると、自分の目的達成のために相手に感情を伝える方法を考えるクセがつくから続けると良いという話。
面白い役者になると思うから続けてほしいという話。

 

レッスン後は教室で皆でプチ打ち上げ。
折角なので先生から何故役者になろうと思ったのかとか、オーディションとはどういうものなのか、とか聞いた。勉強になった。結局就職活動と一緒だと思った。


その後、友人から
「役者になりたい訳じゃないのに何故snsで演技の話をしたり、出てみたいという話をするのか。逆に何故わざわざ役者志望ではないということを人に話すのか。役者志望でないと伝えても得にはならないのに」と聞かれた。


役者志望です、と言ってしまえば、仕事を紹介してもらえたりするかもしれないし、その視点でアドバイスももらえる。

その場ではしどろもどろになったけど、考えてみて、結局私の言動理由のほとんどは自信の有無が基準になっているなあと思った。

 

やってみたい、やれるようになって嬉しい、楽しいと思うからSNSに書く。
でも自信がない、他の人と比べて自分ができないことを分かっているので口では「役者志望ではない」と伝えてしまう。

でも併せて「コミュニケーションの勉強のために始めた」と伝えているので、
コミュニケーションとしての面の演技について教えてもらえるのですごく損だとは思っていない。今でもそれが一番大事。

なお、言っても大丈夫そう、鋭い言葉は投げてこなさそうだと思った人には実は演技を続けてみたい、もっといろんなことをしてみたいという話をしている。

こんなことをブログに書いて、役者関係の人に見られたとしても、私はまだ口では「役者志望ではない」と言い続けると思う。


演技に限らず、損得だとか論理だとかで動いていない。多少できても自信が無いスキルについては「できない」と答える。実際やってみる時も自信なさげにやってしまう。

これのせいでなんもできない奴だと思われがち。
衝動的で行動に理由が伴っていないこともある。ベトナムに飛んだ時なんかはこれだと思う。

 

つまり、役者志望でないことを伝えても得にはならないのは分かってはいるが、
心が弱いので自己防衛のために、自分のペースでできるようになるために伝えている。
今の時点でコミュニケーション下手さに落ち込んだり泣いたり反省したりしてるのに、できる人のペースに合わせてしまったら続けられる気がしない。

 

終電ぎりぎりで帰ってシャワり、ヒーリングサプリメントを飲んで寝た。