抱き米

自分のための生存記録

20191205/演劇レッスン

肌寒さで目が覚める。いつもよりだいぶ遅い時間に寝たが、早めにかけたアラームよりも早く起きた。
編み途中の毛糸の塊を持って1時間45分早い出勤。

 

冷凍保存していたバナナマフィンと、ファミマのドライマンゴーを食べる。
今朝ボトルにコーヒーを淹れてきたので勝ち。
お昼ご飯はカップ蕎麦と冷凍ご飯。
残りの時間で昨夜の編み物の続きをする。ゴールが見えている物作りは気が楽。
もふもふの毛の集合体がどんどん育ってかわいい。顔をうずめたくなる。
二玉残して仕事へ戻る。


少し早めに退勤して演劇レッスンへ。
とはいえレッスンは既に始まっていて、45分程度の遅刻。
前回に引き続き偉い先生がいた。このクラスでチェックしたいことがなにかあるんだろうかと少し怖くなる。
だとしても私のような小者には特に用事はないだろうと思うことにする。

 

肩慣らしのコミュニケーションゲームには参加できず、レペテションの実験から。
レペテションは普段はペアになり、向かい合ってお互いの様子や気づいたことを伝え合うものだが、
今回はどちらか、もしくは両者が目を閉じて行った。
離れた場所から声をかけあって手探りで探したり、
一人は目を閉じた状態で座り、もう一人は立て目を開けたままやったり、
二人とも目を閉じて手を握って相手がどんな様子か感じ合ったり。
あれこれなんかセッ と、過ったがやめた。
私は不安を感じると手汗が滝のように出る体質なのでいろんな人に手汗を共有する羽目になった。

 

目を閉じると、視覚以外の感覚に意識が向く。声の方向だったり、触れた・触れられた感覚。
鼻は鈍いので匂いはあまりわからなかったけど、手を繋いでいたら相手が家具にぶつかった感覚も分かった。
声についてあまり普段意識してないのか、目を閉じて聴くとこの人こんな声だったかな?と
今手を繋いでいる人はレッスンメイトのはずだが、違う誰かである可能性も否めないと思った。
これは相手を感じる訓練という意味ではちょっと関係ないことかもしれない。
と、いう感想を言ったら、「いつも落ち着いているように見えるし、声も大体一定だからそんなこと考えているとは思わなかった」と一緒にやった子に言われた。
これが感情の起伏が無いってやつだ。
人を変えて三回やったけど人によって触り方が違ったり、リアクションが違ったりで面白い。
あまり直接関わりのないサポートの役者さんとやったら、「握った手が怯えてるのがバツ」と言われたのが笑えた。

 

目が不自由な人が執拗とも思えるくらい手で触って確認しているのをどこかで見たことを思い出す。
気が付いたら自分も相手の握った手をすごく確認するように掴んでいた。触れると安心する。

身長が高い人の声は頭上から聞こえるし、同じくらいの人の声は自分の顔と同じくらいの位置から聞こえる。


シーンの練習は前回に引き続き、お父さんが余命半年で実家に帰ってきてほしい姉と、帰りたくない弟が喫茶店で話し合う話。
台詞はちゃんと覚えていった。設定も考えていった。


前回あからさまに不機嫌な感じの弟役の子は、ふーん、それで?と何を言われても無関心なパターンでやってきた。
私は浮ついた感じが出ないように、お父さんがあんたのこと心配してるから帰ってきてほしい、ということを意識してやる。

 

復習していった分形にはなったけど、相手に「それなら帰るよ」というような雰囲気は感じられず。先生からは
「自分はこれを伝えたい、じゃなくて、相手にこういう風に感じてもらえてたらいいな、と思ってるんじゃない?」

ただ台本に書いてあることを読むだけではなく
絶対に今ここで「帰る」と言わせたい姉 VS 絶対に今ここで「帰ってこなくていい」と言わせたい弟のバトルなのだ。
弟役の子は彼なりに私に折れさせるための演技をしている。
「帰る」と言ってほしいな~じゃだめなんだ。引き摺ってでも帰らせるからな!!!というのを台詞以外のところ、表情や動作で表現しなければならない。
という訳で台詞全く無し(口パクもなし)でのシーン練習もしたが、全然伝わっている感じがしなかった。なんにもしてないのと同じかなという感じ。

 

この練習は、一番最初の目を閉じた状態でのレペテションにつながっていた。
何も見えない状態でもレペテションはできるけど不安で、見えた方が相手の感情を読めると感じたのに、
なぜ相手を見ないのか、相手に伝わるような表現をしないのか。

あまり相手のことを見ていない、目を合わせないから相手がどんなリアクションをしているのか分からない、だから自分もそれに対して弱い反応をしてしまう、
ということらしい。相手を見ない、視線を合わせないのは私のクセだ。見られると目を逸らしてしまう。
コミュニケーションは自分自分じゃなくて相手をよく観察して、相手から受け取ったものに対して最善のリアクションをしましょう。
(さっき子供に愛情を伝えるためにはちゃんと視線を合わせてあげましょう的な記事を見てこういうことだ!と思った)

 

これを踏まえた三度目。徐々にではなくて、なるべく早く説得・解決するつもりでやること、という注文付き。
テーブル越しに向かい合う弟は私が話しているのにこちらを見ない。うつむいて相槌を打ったり、携帯を見たりしている。
こいつ目合わせないな~話聞く気ないな~と感じたので、立ち上がって彼の隣の席に移動して腕を掴んで顔を覗き込みながら台詞を続けた。
それに対しては相手から拒絶するような反応はなく、受け入れられた感じがした。
相手を観察して動けたのは良いが、声に感情を乗せるのを忘れて普段通りにしてしまったのは反省。

 

スマホ触ってる最中だったのでこちらが移動を始めた途端慌ててしまい出した反応がちょっと面白かったけど、
もし拒絶された場合にどんな風にすればいいんだろうと、前回の喧嘩の台本が過った。
やってみて、×の反応をされたらいろんなことを試して〇に近づけたらいいとは言うけれど、その状態で自分の願望を通す方法ってどうするの。
場所の設定が喫茶店なので、大声を出したり乱暴するような派手なリアクションをするとは考えにくいのは安心できる。

 

観客側の先生・先輩方は動いたことに対して驚かれたようだったが良い反応だった。しっかり席に座っていなければならない、という縛りは無い。
自分が主人公であるという意識をして、目的を持って、それを達成するためにその場で最善の行動をして、アドリブだって言葉を発する以外にも方法はある。
舞台の上では相手に伝えることに集中して、でも併せて、観客に見せた時自分が役者として得だと思えるパフォーマンスをする。
レッスンは実験の場で、シーン練習は試合だから、楽しんでいろいろやってみればいいという先生の言葉になるほどと思う。

演技をしてみたあとの感想だって、「じぶんはこうしてみた」という話よりも「相手の様子がこうだと感じた」であるべき。コミュニケーションなので。

 

因みに今回の弟役の「無関心」というリアクションは、良い・悪いの主張が感じ取れない、損なパフォーマンスだからやらない方がいいそうな。
現実ではありうるけど、ストーリーにした場合にそのやりとりは要らないシーンになるから。ほとんどの作品は現実ではないことをするから。
「言葉ではそう言うけど実は…」という含みのある雰囲気を出したいのであれば、その設定も考えた上で、それらしい反応をしなければならない。
ミステリアスな人は何を考えているか分からないけど主張ははっきりしていて、何も考えていない人はその芯の部分がない。
「こいつ何考えてるんだろう?」という演技をしても客が興味を持つ場合の理由は、そのシーンの前にそのキャラクターの魅力が伝えられているから。

 

「今ここで説得できないともう次がない」そう自分が思える理由を考えながら次回へ。今のステップは残り二回。
次回も偉い先生や先輩、いるのかな。
年明けからのステップについての話を少しされて、一旦休もうと思っていた気持ちが揺らぐ。


終わったあとは教室に残ってレッスンや演技について先生に相談したり、同期と話をしたり。うち一人が誕生日ということが判明し、そのまま近くの中華料理屋さんで三人でご飯をした。

演技についての話の流れで昔の自分の話や、好みの話など。
昔話を聞くとその人の背景が見えて、ああだからこういう人なんだというのがわかって面白い。
自分自身は昔と比べて成長しているだろうかと不安になる。

あまりお腹が減っていなかったので春巻きにしたがそれでもすごいお腹がいっぱいになった。700円の春巻きだもんな…


同じホームを利用する子に帰り際、
「梅さん、役者志望じゃない、向いてない、とはいうけど、ハマってるでしょう?」と言われた。
私の感情が読み取れないとは言っていたけど、人のことをよく見ている。面白い。


帰宅してシャワり、編み物をして寝た。
また遅い時間。あと一段、あと一玉、と朦朧とした意識で編み物をしていたが、今思うとあれは寝ていたのではないかと、
編んだものの状態を見て思った。